Exhibition
主な展覧会
主な展覧会
国際ペーパービエンナーレ 2006
Rijswijk Museum・CODA Museum
レイスウェイク美術館・ゴーダ美術館
(オランダ)
Petels in the wind散華
なぜだろうか、、、今回の展覧会のことを考えた時、
仏教の儀式で行われる「散華」の様子が頭をよぎった。
桜の季節が終わった直後だったからだろうか。
それとも親しい友のお腹にできた腫れ物を一掃したいと
思っていたからだろうか。
意味もほとんどわからない読経が流れ、堅苦しい感じを受ける仏教の儀式の中、大勢の和尚様達が本堂の中を練り歩きながら美しい姿の仏様や花が描かれた紙製の花びらを蒔く。
その一瞬は、長い寒い冬を孤独に耐え、春を待ちわびて気候が緩んだかと思うと一斉に咲く桜、そして一斉に散る桜を連想させる。我が家にある桜の大木にしてみれば、飛び舞う花びら1枚は、身体のほんの一部であり、一瞬の出来事。
別れというよりは離れ無くなってこそ、又新しい息吹が始まる印。
地球上で生きている私達も地球からすれば、花びら1枚と同じ。
そしてその一瞬にはかなさも永遠をも感じる。
命の息吹は、絶え間なく繰り返され常に生まれ変わる。
「散華」という行為は、花びら1枚に無常な美しさを見、命が循環し浄化される事を象徴しているのだろうか。
2006,5月 吉日
その一瞬は、長い寒い冬を孤独に耐え、春を待ちわびて気候が緩んだかと思うと一斉に咲く桜、そして一斉に散る桜を連想させる。我が家にある桜の大木にしてみれば、飛び舞う花びら1枚は、身体のほんの一部であり、一瞬の出来事。
別れというよりは離れ無くなってこそ、又新しい息吹が始まる印。
地球上で生きている私達も地球からすれば、花びら1枚と同じ。
そしてその一瞬にはかなさも永遠をも感じる。
命の息吹は、絶え間なく繰り返され常に生まれ変わる。
「散華」という行為は、花びら1枚に無常な美しさを見、命が循環し浄化される事を象徴しているのだろうか。
2006,5月 吉日